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12.浅井和子、元駐ガーナ大使


 「民間大使ガーナへ行く」この本は是非一度読んでみていただきたいですね。この本と私の視点の違いは、1つには彼女が外交官として現地に赴いたこと、また女性ならではの視点で現地の人との触れ合い、それを言葉で伝えてくれていることです。かたや私の視点は、一般的日本人としてガーナの市井の人たちと会って触れあってきました。

 今回のガーナ訪問は私にとても大きなカルチャーショックをもたらしました。なにせ帰国して知恵熱が出たくらいですから。笑 (実際には、疲れからか(?)腸閉塞になりました)

 それを通じて感じたのは、我々日本にいるために、日本が世界の標準(スタンダード)だと思っている点です。しかし今回ガーナを見てきて思ったのは、むしろガーナのような国が世界の大勢で、こちらこそが世界のスタンダードなのではないかということでした。






  最後に・・・「3丁目の夕日」ガーナ版?


こちらは映画ではなく、近年まで残っていたご近所さん(東京・港区)の家です



 大正生まれの母に、ガーナの首都アクラは、戦後の東京のような感じ、といったらとても良くイメージできるとのことでした。そんな景色を拾ってみました。

 かつて日本には「靴磨きの少年」がいました。こちらガーナでは、時折そうした少年を見かけます。足(靴)を乗せる台(木箱)を何故か後ろ手にしてスティックでポン、ポン、と叩きながら歩きます。つまりこの木の箱を叩く音で、「靴磨き(靴修理)」が来たぞということを近所に知らせながら歩くのです。

 またある時、友人の家で洗濯機を借りて洗濯をしようと思ったら「持っていない」との返事。代わりに洗濯を請け負ってくれる女性に頼んでいるのだとか。

 朝、年配の女性が家に来てくれて、たらい数個に水を入れ、午前中一杯洗濯をしてくれました(屋外に干しておけば夕方までに十分乾く)。見れば母が使っていたような「洗濯板」といったものは使用していませんでしたので、次回のお土産はこれがいいかも。(笑)

 ちなみに、友人いわく「洗濯機を買うのもいいけれど、失業率の高いこの国では、こうして雇用の機会を作ってあげるのも大切なんだよ」と。



 洗濯してくれていた女性が持っていたのがコレ。どんな経緯で入手したのでしょうね。

 とても気に入ってくれているようでしたので、私の持っていた小物入れもプレゼントしました。

 


 夜も路地で商品を売っている屋台があります。屋台といってもけっして縁日とかではありません。面白かったのが、灯り。どうやらかつて日本でも使っていたカーバイトランプのようでした。もう少し近づいて確認したかったのですが、買いもしないのにからかうなと怒られるといけないのでやめておきました。


 日本では12年連続で自殺者が3万人を超えているのだとか(2009年で32,753人もの人が自殺)。アフリカの国々は貧しく、そんな中で皆、必死で生きようとしています。こうした国ではどうやったら生きていけるかを考えても、どうやったら死ねるかなどと考える人はいません。もう一度生きるという意味を考えたいと思う日本人がいたとしたら、その旅先としてガーナは候補にしても良いのかもしれません。そんな印象のある10日間の旅でした。




<編集後記>

 アフリカ大陸へ初めて足を踏み入れたその最初の国がガーナ。友人でもいなかったら行く機会もなかったと思います。そのガーナでの10日間はまさにカルチャーショックの連続でした。20歳以下の人口構成が41%(日本は14%)とも言われるこの国は、若く、もっと豊かになりたいという思いがみなぎっていました。

 滞在中、一番美味しいと思った料理は、友人のお母さんが作ってくれた魚料理でした。いずこもそうですが、家庭料理が一番安心ですね。お陰で、冷房で体調を崩した以外、心配した食中毒もありませんでした。もっとも帰国してから、疲労からか体調を崩し、医者へ行くと腸閉塞と言われてしまいました。家で静養しながらこの原稿をホームページにまとめました。

 このガーナ報告ページが完了し、私の旅も完了しました。気がついてみれば、ダイエット出来たと喜んだ体重計の数字が再び上昇を示していました。 やばっ!(2010/02/05)



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