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8.世界遺産


 世界遺産のケープコースト、エルミナを除けば、あまり一般向けの観光スポットがないので、観光に行く人はそうそういないと思いますが、東京のガーナ大使館で観光ツアーの案内パンフレットも見かけました。集まる人数にもよるのでしょうが、主要ホテルからツアー参加出来ると思います。
私が行ったケープコースト、エルミナ地区までは、かなり車を飛ばしてもアクラから2時間半もかかりました。一人で行くなら、タクシーで往復すると良いでしょう(実際にアクラからタクシーで来ていたアメリカ人観光客もいました)。


カクム国立公園(KAKUM NATIONAL PARK)
 一定時刻になると公園内ツアーがスタートします。我々のガイドさんは女性でした。また参加者も女性が多く、そのほとんどがアメリカ人のようでした。高地をトレッキングするので、息が切れます。ゆっくり歩くことがこつですね。キャノピーウォークと呼ばれる吊り橋渡りも体験しました。

 

 カクム国立公園、ガイドツアーがあります

キャノピーウォーク

 

売店で売っていた、こちらが有名な”カカオ豆”

 

 中は大粒のトウモロコシ状のつぶつぶがあります。
ぬるぬるしていて食べると周りは薄甘く、豆本体はちょっぴり苦い味がします。





ケープコースト(CAPE COAST CASTLE)



 現在のアクラに首都が移されるまでは首都だった都市だそうです。今回の私の旅行は観光目的ではなかったのですが、唯一ここだけは行っておかなくてはと思っていました。ガーナという国名は日本ではチョコレートの商品名として有名ですが(実際に優良なカカオ豆が取れる)、歴史的には大量の奴隷が西アフリカの国々からここに集められ、奴隷として積み出された地域だということです。

 アメリカ大陸を始め南米のあちこちにも新天地を見つけた欧州人は自国の領土拡大競争を始めました。その為には大きな労働力が必要と、各国が競ってガーナに拠点である要塞を作り、そこにアフリカ人を集めては積み出しをした訳です。この為、代表的なケープコースとだけでなく、海岸沿いには、数多くの要塞跡が今も残されています。これについて語ろうとするとそれだけで1冊の本になりそうですので、特に印象に残ったポイントだけ紹介します。

 ガイドさんに導かれて入った部屋は女性専用の部屋でした。高い位置に小さな四角い窓があり、そこからかすかな光が入ってきます。部屋は傾斜がついていて奥に行くにしたがって高くなっていました。部屋の中央に傾斜の上から下への溝がありました。なんとこの部屋にはトイレがありませんでした。この溝はおしっこが流れていくために作られたものでした。こんな部屋に閉じこめられたアフリカ女性は、次の船が車での数ヶ月をここで過ごしたのでした。まさに家畜以下の扱いをされていたわけです。


 また別の部屋は、反抗的な男性を閉じこめておく部屋でした。ここには窓もなく、水も食料も与えず、手をかけずに殺すための部屋でした。戸口に近い床に掻きむしったスジがあるのは、死にゆく人が遠のく意識が中で床をかきむしった跡だとガイドさんが説明してくれました。

 出入り口にある解説文書が胸を打ちました。IN memory of our ANCESTORS who suffered the CRUELEST CRIME AGAINST HUMANITY. (我々祖先になされた残忍さは人間性に対する犯罪だと) この施設にアメリカ合衆国オバマ大統領も訪問していました。(ちなみに彼の父親はガーナ人ではなくケニア人)献花し、また訪問碑を残していました。アフリカ系の人として、彼はここで何を感じたのでしょうね。このケープコーストだけでもなんと2000万人もの人が奴隷として大西洋を渡って行ったのだそうです。






 こちらは「帰れずのドア」
 一度このドアを出たら二度とアフリカの大地へは戻れないという場所です。




President Obama's Visit to Ghana

オバマ大統領のガーナ国民議会での演説 ・・・ 2009年7月11日、ガーナ共和国アクラ








エルミナ(ST. GEORGE’S CASTLE, ELMINA)

 先のケープコーストと、このエルミナは世界遺産に指定されています。いずれの要塞も、その外には青い綺麗な大西洋が横たわっていました。とても、これほど残忍なことが行われていたとは思えないほど綺麗な海でした。

 こちらエルミナは語幹から感じていただけるようにラテン系の名前。元々はポルトガルがガーナの豊富な金を確保するための要塞として作った城なのだそうです。それに加え奴隷貿易を始め150年続いたのだそうです。

 その後はオランダが奪取、次はイギリスと各国の覇権争いの場所になっていたようです。結果、奴隷貿易は実に235年間続けられたのだそうです。








こちらは滞在中ずっと車の運転をしてくれた運転手さん

一見すると、とても平和そうに見えるのですが


    



 
<後日談> 欧州人がアフリカ人にしてきた非人道的な行いの記録を見てきたわけですが、帰国後に思いついて、以前から行ってみようと思った「在日韓国人歴史資料館」を訪問してみました。同様に、韓国人に行ってきた非人道的な行いの記録がそこに綴られていました。ケープコーストを非道と思えるのであれば、同様にこちらも同様に非道と感じなければ、人間として公平性を欠くことになるでしょう。 (2010/02/10)



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